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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)16639号 判決 1991年3月22日

原告 興恵汽船株式会社

右代表者代表取締役 野口政造

右訴訟代理人弁護士 金田絢子

右訴訟復代理人弁護士 森田政明

被告 大正海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 石川武

右訴訟代理人弁護士 田川俊一

右訴訟復代理人弁護士 北新居良雄

参加人 龍ケ岳町農業協同組合

右代表者理事 尾上一

右訴訟代理人弁護士 山下豊二

同 根岸隆

参加人 熊本県農業信用基金協会

右代表者理事 本田博

右訴訟代理人弁護士 久利雅宣

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  被告は、金一億六〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月一日から支払い済みまで年六分の割合による金員を限度として、

1  参加人熊本県農業信用基金協会に対して、金三四四六万三二四九円及び内金二五九三万六九七九円に対する昭和六〇年八月八日から右支払い済みまで年一割四分五厘の割合による金員を支払え。

2  前号による支払いの後に余剰のあるときは、参加人龍ケ岳町農業協同組合に対して、金一億二五五三万六七五一円及び内金二七六九万九四二〇円に対しては昭和六〇年八月八日から、内金八一八三万六二五三円に対しては昭和六一年一二月六日から、右支払い済みまで年一割四分五厘の割合による各金員を支払え。

三  原告と参加人両名との間で、昭和五八年七月一九日付け海上保険契約に基づき原告が被告に対して有する金一億六〇〇〇万円の保険金請求権について、参加人龍ケ岳町農業協同組合が金一億二五五三万六七五一円の限度で、参加人熊本県農業信用基金協会が金三四四六万三二四九円の限度で、それぞれ根質権を有することを確認する。

四  訴訟費用は、第一、第二事件を通じてこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の請求

(第一事件)

被告は、原告に対し、金一億六〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一日から右支払い済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(第二事件)

主文二、三項に同じ。

第二事案の概要

本件は、原告が被告との間で締結した船舶保険契約に基づき、保険事故の発生を理由として、保険金一億六〇〇〇万円の支払いを求めるのに対し、被告は約款上の免責事由があるとして、支払い義務を争っているものであり(第一事件)、また、参加人らは、右保険契約に基づく原告の保険金請求権の上に、根質権を有すると主張して、自分らへの支払いを求めて訴訟参加したものである(第二事件)。

一  (保険事故について)

1  原告は、昭和五八年七月一九日、被告との間で、汽船なち丸(昭和四三年七月に進水した総トン数四九九トン〇三の鋼質の汽船で、小久保汽船有限会社の所有。)について、保険金額一億六〇〇〇万円、保険期間は昭和五八年七月一九日正午から同五九年七月一九日正午までの約定で、船舶保険契約を締結した(当事者間に争いがない。)。

2  なち丸は、昭和五九年七月一三日午後一二時一五分ころ、室戸岬沖(北緯三三度一七・〇五分、東径一三四度五〇・〇三分の地点)で沈没した(沈没の原因については争いがあるが、右事実については当事者間に争いがない。)。

3  原告は、昭和六〇年五月三一日、右保険契約に基づく保険金一億六〇〇〇万円の支払いを被告に対して求めた(当事者間に争いがない。)。

二  (参加人らの訴外野口勝己に対する債権について)

1  参加人龍ケ岳町農業協同組合(以下「参加人農協」という。)は、訴外野口勝己(以下「勝己」という。)に対して、昭和五五年七月一八日、別紙債権目録(一)の通り、金五〇〇〇万円を貸し付けた(以下「A債権」という。)。

2  参加人熊本県農業信用基金協会(以下「参加人協会」という。)は、昭和五五年七月一八日に参加人農協との間で締結したA債権に関する保証契約に基づき、昭和六〇年八月七日、金三四四六万三二四九円を勝己に代わって弁済し、右は、元本に一六八〇万〇五八〇円、利息に九一三万六三九九円、遅延損害金に八五二万六二七〇円が、それぞれ充当された。そこで、参加人協会は、勝己に対して、金三四四六万三二四九円及びうち元利合計金二五九三万六九七九円部分に関して同六〇年八月八日から年一割四分五厘の割合による損害金の各請求権を代位取得した。

その結果、参加人農協には、残元本金二七六九万九四二〇円の債権が未払いとなった。

3  訴外熊本県信用農業協同組合連合会(以下「訴外県信連」という。)は、昭和五五年七月一八日、別紙債権目録(二)のとおり、勝己に対して金一億円を貸し付け(以下「B債権」という。)、また、同五六年一二月二一日、別紙債権目録(三)のとおり、勝己に対して金九〇〇〇万円を貸し付けた(以下「C債権」という。)。

4  参加人農協は、昭和五五年七月一八日にB債権について、昭和五六年一二月二一日にC債権について、それぞれ勝己の債務を保証することを訴外県信連と約した。その際の、参加人農協と勝己との間の委託保証契約には、勝己が参加人農協の債務を一つでも履行遅滞したときは、参加人農協の請求により、右保証債務につき事前に求償することができる旨の特約が、それぞれあった。

5  勝己は、前記A債権について、昭和五七年一月一〇日以降の支払いをしなかった。そのため、参加人農協は、前項に記載の事前求償の特約により、勝己に対して、別紙債権目録(二)、(三)記載の債権の範囲内で、事前求償権を取得した。

(以上、1ないし5の事実については、参加人両名と原告との間では争いがなく、被告との間では、《証拠省略》により、これを認めることができる。)

6  以上によれば、

(一) 参加人協会は、勝己に対し、三四四六万三二四九円及び内金二五九三万六九七九円に対する昭和六〇年八月八日から支払い済みまで年一割四分五厘の割合による金員の各請求権を、

(二) 参加人農協は、勝己に対し、金一億二五五三万六七五一円及び内金二七六九万九四二〇円に対しては昭和六〇年八月八日から、内金八一八三万六二五三円に対しては昭和六一年一二月六日から、各支払い済みまで年一割四分五厘の割合による金員の各請求権を、

それぞれ有している。

三  (根質権の存在について)

1  原告は、昭和五八年八月三日、参加人農協との間で、本件保険金請求権につき、勝己の参加人農協からの借入金及び委託保証契約による求償債務など一切の農協取引債務のため、金一億六〇〇〇万円の根質権設定契約を締結し、右契約は同日被告により承諾された(争いがない)。

2  参加人両名の間で、昭和六〇年八月二九日、右の根質権においては、参加人協会の前述(二6(一))の請求権の範囲内で、参加人協会が参加人農協に優先して弁済受領する旨の合意がなされた。

四  (争点及び被告の主張)

本件の争点は、本件保険金請求に関して、被告に免責事由があるか否かであり、この点に関する被告の主張は次のとおりである。

1  本船なち丸の沈没は、乗組員らが、故意に、キングストンバルブなどから海水を機関室に浸水させたことが原因である(船舶保険普通保険約款三条六号、七号)。

このことは、原告には保険金を詐取するに足りる経済的動機があったこと、なち丸の沈没直前に潜水調査した潜水夫が、キングストンバルブからの入水を確認すると共に、船底には衝突の痕跡は認められなかった旨の報告をしていること、退船するまでの経過に関する乗組員らの供述が全体として不合理で、およそ生じえない現象を述べていることなどに照らせば、明らかである。

2  仮に、浸水が人為的なものではないとしても、右浸水はポンプを始動することにより容易に排水できたにもかかわらず、何らの措置も講じないまま、船長を始め乗組員全員が早々に退船している。

(一) これは、浸水を奇貨として、保険金を得ることを意図して船舶を放棄した、いわゆる「不作為による作為」に該当するので、故意による場合と同様である。

(二) 「不作為による作為」に該当しないとしても、なち丸の沈没は、乗船していた原告の当時の代表取締役である勝己(一等機関士)及び同取締役であり船長であった野口政志(以下「政志」という。)の重大な過失(同約款三条六号)によるものである。

(三) 重過失によるものとは言えないとしても、右勝己及び政志の両名は、排水するなどの対応を容易にすることができたのに、何らの措置も講じなかったから、保険契約者としての損害防止・軽減義務を怠ったものである(同約款一五条一項、三項)。

第三争点に対する判断

一  本件保険事故の発生の経過について

1  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 本船なち丸は、昭和五九年七月一一日、京浜港川崎区扇島において鉱炉灰約一〇〇〇トンを積載し、午後一二時二〇分ころ、大分県津久見港へ向けて出港した。当時の吃水は船首三・八〇メートル、船尾四・六八メートルであった。

その後、なち丸は、和歌山県潮岬を通過し、市江崎沖約五マイルを航行し、更に日の御崎の南南西一六海里の地点を通過した後、同月一三日午前〇時ころ、真針路を約二三五度に定針し、高知県室戸岬沖五海里を通過する針路とした。この頃の天候は小雨模様で、風雨は次第に強まる傾向にあった。

(二) なち丸の一等機関士である勝己は、同日午前三時一〇分過ぎころ、機関室に浸水していることを発見し、その旨を船長の政志に報告した。当時操舵していた政志は、機関が停止したことと右の勝己の報告を受けて、同日午前三時三〇分ころ、全乗組員に対して、船が沈没するから直ちに退船の準備にかかるようにと指示するとともに、自らは保安電話(VHF・一六チャンネル)を使用して高知海上保安庁に緊急通信を行ったが、深夜であったためか連続三回の呼出しをしたにもかかわらず、応答は得られなかった。そこで、同三時四〇分ころ、政志は船舶電話(一〇〇番)を使用して、小松島電話局を呼出し、「これから乗組員全員が退船するから、高知海上保安部に連絡してもらいたい」旨の依頼をした。そして、同三時五〇分過ぎころ、膨張式筏に移乗して、乗組員五名全員が退船した。当時、付近海域には、漁船・商船などは、一隻も航行していなかった。

(三) その後、なち丸の乗組員らは膨張式筏に乗って、漂流していたが、なち丸は沈没することなく浮遊し続けた。そうして退船から二時間ほど経過した同日午前六時ころ、付近を通りかかったケミカルタンカー「ディコスモス」によって、乗組員五名全員が救助され、同船に乗り移った。その時点でもなち丸は容易に沈没する気配がなかったことから、政志らは、ディコスモスの船長にボートを借りて、なち丸の浸水状況を調べようとしたが、巡視船が間もなく到着するからと説得され、暗に断られた。そして、なち丸の乗組員らは、午前八時三〇分頃、現場に到着した巡視船「みなべ」に移乗し、更に、同九時三〇分頃巡視船「くま」が現場に到着すると、これに移乗した。政志は、「みなべ」の船長や「くま」の船長に対して、なち丸について排水作業などの救助措置を依頼したが、実行はされなかった。

(四) そして、なち丸は、同日午後一二時一五分頃、北緯三三度一七・〇五分、東経一三四度五〇・〇三分の地点で、初めは右舷に横倒しになり、船尾を下に船首を上にした格好で、一気に沈没した。

2  ところで、なち丸の沈没は、船内に海水が流入した結果、機関室が満水になったために、船全体として浮力を失ったことが原因である点においては、航海学等の専門家の見解も一致しており、これに前記認定の事実経過を照らし合わせれば、なち丸は、何らかの原因により船体に開口部が生じ、そこから浸水した海水が機関室に充満したことにより、沈没するに至ったことが認められる。

二  被告の主張1(故意海難)について

前述(第二の三)のとおり、本件保険金請求権には、参加人らの勝己に対する貸付金債権等を担保するために、根質権が設定されているので、なち丸が沈没して保険金が支払われることになっても、原告に直接に現金が入ることにはならない。

ところで、原告は、代表者である野口政造を始めとして、全ての役員・株主が親族から成る同族会社であり、本件事故当時の原告の代表取締役であった勝己(一等機関士)を含め、なち丸の乗組員五名中四名が親類関係にあったこと、勝己名義の右借入金のうち、少なくとも一億五〇〇〇万円部分は本船なち丸の購入資金として使用されており、実際には原告の事業資金たる性質を有するものであったこと、本件事故当時、右借入金の残金一億七五七〇万円について、勝己はその分割弁済金の支払を遅滞しており、債権者の請求があれば期限の利益を失う状況にあったことが認められ(前記第二の二に認定の事実、原告代表者本人尋問)、これらの事実に照らすと、保険金の金額の範囲で、勝己は参加人らに対する借入金の返済を免れるのだから、原告の代表者や乗組員らには、故意になち丸を沈没させて保険金の支払いを受けることに関して、十分な経済的動機があったことを推認することができる。また、本件保険事故の発生が、保険期間の満了(昭和五九年七月一九日正午)の直前であったことも、間違いない。

しかしながら、以下に述べるとおり、原告の代表者や乗組員らが、故意に海水を流入させてなち丸を沈没させたと認めるに足りる証拠はないと言わざるを得ない。

1  浸水は、キングストンバルブから入っていたかについて

なち丸が沈没する前に潜水して状況調査をした潜水夫が、キングストンバルブからの入水を確認した旨の報告をしている。しかしながら、故意にキングストンバルブから浸水させるのであれば、バルブを全開にすることにより浸水速度をより大きくすることができ、より短時間に船を沈没させることが可能であるところ、実際には、なち丸は約九時間もかけて沈没している。このことは、故意海難の場合には、証拠湮滅のためにできるだけ短時間で沈没させる方が有利であることに照らせば、不自然である。何らかの原因(バルブに破損が生じたなど。)でキングストンバルブからの海水の流入があったとしても、それが乗組員の故意に基づくものであったと考えることは合理性を欠く。

2  衝突した痕跡が認められなかったとの点について

右の潜水夫の報告では、衝突の痕跡は認められなかったとされている。しかしながら、なち丸が現実には約九時間かけて沈没した事実から計算すると、必要な開口面積は、後述のとおり、僅か一六ないし一七平方センチメートルに過ぎず、前項で述べたとおりキングストンバルブからの入水があった事実に鑑みれば、そもそも何らかの物体と衝突したことによる亀裂等は生じていなかった可能性もあり、仮に亀裂等の破口が生じていたとしても、短時間の目視による発見は困難な程度のかなり小さなものであったと考えても不自然ではない。

3  乗組員らが衝撃を感じた一〇分後に、機関室のフライホイールが水を巻き上げ、次いで、主機関が停止した旨の供述の信用性について

(一) 《証拠省略》によれば、機関室の全容積は約一五〇ないし一六〇立方メートルであること、仮に船底に生じた開口部から流入した海水のみによって、九時間五分(浸水が始まったと推定される午前三時一〇分から本船が沈没した午後一二時一五分までの時間に相当。)で、右の容積が満水となるためには、出航当時の吃水を基準として算定すると、開口部の面積は計算上は一六ないし一七平方センチメートルとなること、他方で、フライホイールの下面と船底との間隔は六三ないし六四センチメートルであり、フライホイールの下面までの機関室の容積は一七ないし一八立方メートルであること、よって、フライホイールが水を飛散させ始めるには、最低でも一七立方メートルの水が機関室の底部に溜まっている必要があり、更に、垂直方向に水を巻き上げるには約三〇立方メートルの水が溜まっている必要があることが、それぞれ認められる(《証拠判断省略》)。

ところで、乙二五号証記載の浸水量算出式(本件では、破口面積が小さい場合の近似式の方を使用する。)に基づき計算すると、右に認定した開口面積からの一〇分間の流入量は、約二・九立方メートルとなる。そうすると、右の開口面積では、一〇分間で、フライホイールが水を巻き上げるために必要なだけの海水の流入が起こらないこととなり、現実に本船が九時間余りかかって沈没した事実とフライホイールに水が巻き上げられていた旨の乗組員らの供述とは、矛盾するとも考えられる。しかしながら、機関室に溜まっていた液体が全て衝撃後の流入水であるとは限らず、何らかの原因でビルジに海水等が溜まっていた可能性もないとは言えない(原告及び参加人らは、鉱炉灰の水分がビルジに溜まり、バルクヘッドが衝撃によって破れれば、船尾の機関室の底に水が溜まる可能性がある旨主張するが、証拠上、右事実を認定するには十分でない。)。

(二) 更に、理論上はフライホイールが水を巻き上げる可能性があることは間違いないところ、機関室には敷板があるため、巻き上げられた水は、まず敷板に遮られるし、フライホイールにはカバーが掛かっており、また、その隙間から吹き出したとしても、上方にあるカム軸先端金物部分に遮られるので、勢いよく垂直方向へ水が巻き上がるということは考えがたい旨の見解があるが、そもそも乗組員らの供述も、気が動転していたことから来る不正確さを免れず、巻き上げ状況(水の高さ、その勢いなど。)に関しては主観的要素もあるので、同供述が事実を忠実に反映しているとは限らないし、そもそも乗組員らが目撃したものが、真実フライホイールによる水の巻き上げであったか否かも確実とは言えない。船底に開口部ができると、当初は水が勢いよく吹き出す可能性があり、又、キングストンバルブからの入水でも同様であることからすると、乗組員らがこれらを見間違えた可能性もないとは言えず、結局、供述の信憑性が直ちに無に帰するとは考えられない。

(三) また、仮にフライホイールが水を巻き上げても、その程度では主機関は停止しないとの見解もある。しかしながら、フライホイールは高速で回転しているのであり、それが水を巻き上げたとすれば、かなりの量が、かなりの高さまで跳ね上がりうると考えられる。そうすると、フライホイールのカバー、カム軸先端金属部分等に遮られることなく上方へ巻き上げられた水によって、機関室内では比較的高い位置にある発電機やシリンダーにまで飛散する可能性もある。そして、発電機は水をかぶれば容易に機能を停止しうるし、給気管に入った水が更に送り込まれてシリンダーに入れば、ウォーターハンマーが起こり、シリンダーが次々と停止する可能性も否定できない。右の事情は、実際に吹き上げられていた水が開口部からのものであったとしても、同様である。

(四) なお、《証拠省略》によれば、フライホイールが水を巻き上げるのを見た野口盛男が、エンジンが爆発するかもしれないと考えて燃料ハンドルを操作して燃料供給を断った可能性も高い。しかし、燃料ハンドルを操作した時点では既に主機関が停止して(あるいは、停止しかかって)いた可能性もあり、それが主機関停止の原因であるか否かは、確定できない。もっとも、仮に、右の行為が原因であるとしても、前記の供述のうち主機関が停止した時期に関する部分と何ら矛盾するものではない(野口盛男の右の行為が、乗組員の行動として相当なものであったか否かは、全く別個の問題である。)。

(五) 以上からすると、乗組員らの前記供述も一概に否定できない。

4  これらの事情に加えて、自招海難においては、船舶を短時間で沈没させて証拠の湮滅を図るとともに、乗組員らが安全に救援されるよう、海上が平穏で他船が存在するような条件下で行われるのが一般であることを考え合わせれば、いかなる原因で本船に海水が流入し沈没するに至ったかに関して、全体として明確な説明はできないが、なち丸の乗組員らが故意になち丸を沈没させたとの事実を推認するに足りる十分な証拠もないこととなる。

三  被告の主張2(一)(「不作為による作為」)について

現実になち丸が沈没したのは、浸水が始まったと推定される時点から約九時間も後のことであり、結果的には、乗組員らの退船は早すぎた形になっている。そして、乗組員らが退船した時点では、なち丸への浸水量は未だ多量には達していなかったものであり、その時点で備えつけられていた補機を稼働させてポンプで排水を開始すれば、なち丸が沈没することはなかったと考えられる。

しかしながら、本件事故は、深夜、船舶の枢要部である機関室に浸水があったことによるものであり、当時風雨に見舞われ、付近の海域に他の船舶は全く見当たらない状況であったこと及び前記の機関室のフライホイールが水を巻き上げていた等の乗組員らの供述を一概に否定し去れないことに照らせば、機関室に浸水していることを発見した時点で、乗組員らにおいて、なち丸が直ちに沈没するのではないかと危惧したとしても必ずしも不自然であるとは言い切れず、しかも、政志は、過去における船舶の衝突に際し、衝突箇所及び浸水箇所を調べている間に船が転覆し、実弟を含む二人を死亡させる人身事故を起こした経験があるため、なち丸の船長として人命を第一に考え、乗組員に早期の脱出を命じたとしても、そのこと自体通常人の行動として不自然であるとまでは言いがたい。

すると、前述のとおり、原告に保険金を取得するにつき十分な動機があるとは言え、本件全証拠によっても、原告の役員らに「不作為による作為」と評価できるような意図があったと認めるには足りない。

四  被告の主張2(二)(重過失)について

前項で述べたとおり、乗組員らが、なち丸の機関室に浸水していることを発見した段階で、船が直ちに沈没するのではないかとの危惧を抱いたとしても必ずしも不自然であるとは言えず、そうすると、本件全証拠によっても、乗組員らにおいて、自己の生命を危険に晒すことなく排水をしてなち丸を沈没から免れさせられるとの判断ができる状況であったとは認めがたい。また、なち丸の乗組員らの早期退船が必ずしも不自然であるとは言い切れないことも前述のとおりである。

以上によれば、結果的には乗組員らが早期に退船したためになち丸の沈没を招いたとしても、なち丸の乗組員らが、僅かの注意を払うことで結果の発生の阻止に向けた行動を取れたにもかかわらず、著しく注意を欠如したために右の行動を取らなかったと認めることはできない。

よって、なち丸の沈没が乗組員らの重大な過失によるものと認めるには足りない。

五  被告の主張2(三)(損害防止・軽減義務の違反)について

乗組員らが何らの排水措置を講ずることなく退船したことは、間違いない。しかしながら、保険契約者の損害防止・軽減義務は、自己及び関係者の生命を危険に晒してまで、保険の目的物を守ることを要求するものであるとは考えられず、そうすると、前述のように、沈没の時期が正確に判断できないために乗組員の生命の安全の確保の可否を容易に判断できないような場合であれば、保険契約者(本件では、乗組員でもある勝己及び政志)には、乗組員の生命を危険に晒してまで損害を防止する義務があると解することはできない。

ところで、本件全証拠によっても、乗組員らが、なち丸の機関室に浸水していることを発見した時点で、沈没の時期を正確に判断できる(その結果、乗組員をして、自己の生命を危険に晒すことなく排水作業をしてなち丸を沈没から免れさせられると判断できる)状況にあったとの事実を認定するには足りない。すると、右時点において、乗組員らが、排水作業を行ってなち丸の沈没を防止する義務を負っていたと認めるに足りる証拠はないこととなる。

また、退船した後の行動について考えるに、前記認定(一の1(三))によれば、救命筏で漂流しているところを救助された後は、なち丸の乗組員らとしても、巡視船等の船長らに対して、何とかなち丸を救出するように依頼したけれども、結果的には、機関室への浸水を排水したり、最寄りの港までなち丸を曳航したりなどしてもらうことはできなかったものであり、自ら為しうる行為を怠ったということはできない。

よって、原告に右の義務の違反があったとは認められない。

六  結論

以上によれば、本件保険金請求について、被告に免責事由があるとは認められない。

よって、主文のとおり判決する(なお、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。)。

(裁判長裁判官 久保内卓亞 裁判官 山口博 花村良一)

<以下省略>

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